2013年4月21日日曜日

『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』 3:コメント



 ※今回は、phase1担当者とphase3担当者は同一人物である

 phase2で述べられている「コンテクストの無いところに他者どうしをつなぐコンテクストを構築」できてはじめて「冗長表現」を「適切に」使用できるということは、おそらくその通りであろう。ホスピスの癌患者の奥さんを例にとると、奥さんの薬に対する不満の噴出は冗長表現の適切な使用ではない。奥さんが配偶者の境遇に感じている心情の表現として、薬への不満を語るということは全く論理的ではない。字面の上では。そして、論理的ではないこの表現は奥さん-看護師間のコンテクストにおいては適切なものとなっていないため、看護師たちには伝わらず、クレーマーなのではないかと受け止められてしまう。さらには、両者の間に奥さんの心情の受け皿となるコンテクストが無いだけではなく、奥さん自身の中にも「なぜ自分の夫が死んでいかなくてはならないのか」という思いを語れるコンテクストが構築されていない。そのために、伝わらない表現を修正することなく何度も繰り返してしまう。

2013年3月30日土曜日

『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』 2:応答



本書については、phase1で担当者が冒頭で述べる通り、全体的にフワッとした議論になっていて、なおかつ、全体を通して「コミュニケーション」という言葉がひとつの主題となってはいるものの、議論がひとつの方向性を向いているわけでは無かった。その点において、phase1担当者「問いらしい問いをひねり出すことはでき」なかったというのも理解できる。こうした議論を「グローバル(球形的、総合的)」と呼ぶならば、それに対して「リニアー(直線的、各論的)」な議論というものが存在する(その最たるものが学術論文だろうか)はずだが、グローバルな議論に対して「問いらしい」リニアーな問いをなすのは重箱の隅をつつくような行為になりがちだし、かといってグローバルな問いをなすのもテクストとの共振度が大きく触れがちなので、難しいものがある(と、個人的には思う)。

2013年3月11日月曜日

『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』 1:問い



本書を読みあれこれ試行錯誤してみましたが、正直な話、問いらしい問いをひねり出すことはできませんでした。そこで、本書の中に出てくるいくつかの主張の中で自分に響いてきたものに焦点を当て、そこに見出せるつながりについて記述してみました。本書には脱線が多く、またいくつか展開される主張の間の連関はあまりはっきり明示されません。(むろん、本書は学術論文ではないのでそのこと自体は全く問題になるようなことではありません。)明示されない分、そのつながりについて読者が考えられる自由度は高いはずです。私が問いらしい問いを出せなかった代替物として、phase2担当者に問いかけたいことは、私が見い出したつながり、本書にちりばめられたリソースを私という文脈の中に置いてみて出てきた結果物、それらは同じく本書を読んだあなたにはどう見えるか、ということです。あなたの読書経験から、またあなたの日常経験と読書経験の交差するところから見て、私の文章はいったいどのように映るでしょうか。